外務省報償費情報公開訴訟 第20回口頭弁論・傍聴記
 報償費不開示取消訴訟の第20回口頭弁論は2005年2月24日、午後2時30分から第606号法廷で行われた。
     原告側:高橋、羽倉、土橋、谷合の4弁護士
     被告側:法務省、外務省情報公開室など9人
     傍聴者:センター相談員など6人

口頭弁論の内容
裁判長
 被告が上申書で、原告が甲号証として提出した部分開示文書52件の枚数カウントの誤りを指摘しているが、これについて原告は検討してください。
原告(高橋)
 今日は結審と思っていたが、これからやるのですか。
裁判長
 進行について説明したい。1週間前に被告から、対象文書の内容・外形的事実についてもう少し明らかにする準備をしており、サンプル(添付別表)のようなものを作成して主張を補充したいとの提案があった。被告は主張補充をして下さい。
原告(高橋)
 今まで裁判長が被告に、対象文書をさらに明らかにするものを提出するように指示し再三注意しても、被告はやらないと1〜2年いい続けてきたではないか。
裁判長
 これまでの進行を前提に今回期日も指定したが、裁判所が適切な判断をするためにギリギリ出せるものは出してもらいたい。今日間に合わないのなら致し方ない。原告の主張はそれを見た上で論じてください。
被告
 作成するのはサンプルのようなもので、被告準備書面(5)と(7)の一覧表に外形的事実を補充したものである。これまで決裁書として一括して特定していた文書を分けて、それぞれに記載されている項目を示し、使用目的はこれまでのA,B,Cをさらに細分し、情報収集の対価、会合の経費などと示す。
原告(高橋)
 今になって提出するというのは、「時期に遅れた攻撃防御方法の提出」である。何故この時期かを説明してほしい。
原告(谷合)
 不開示理由が新たに出るのか。
被告
 新たな不開示理由は示さない。
裁判長
 審理の終わりになって、最初にやるべきことを何故やるのかとの批判はあろうが、控訴審も予想されるので一審で出来るだけやろうということである。
原告(高橋)
 外形的に多少見当がつくことがある程度で、新たに行うという分類もさしたるものではないと考えるが、訴訟指揮に従う。

次回期日
 次回の口頭弁論期日は4月21日(木)11時 606号法廷と決定された。

コメント
1.あきれた審理引き延ばし
被告外務省は、裁判所の再三の指示・注意にもかかわらず、対象文書の外形的事実についても不開示該当性の主張立証についても、これまでの準備書面以上は行わないと回答し続け、前回の口頭弁論において、裁判長が被告にこれ以上の主張の補充はないことを確認して、今回は結審を前提に期日が設定されていた。
この期に及んで、裁判の最初に提出すべきものを作成して主張の補充をしたいと申し出るというのはどういうことであろうか。原告側の問い糺しに対して、被告側はまともな回答をしなかった。被告側は裁判官の定期異動による審理遅延も読んで、審理引き延ばしを図っているのではないか。

2.期待できない被告の「構成文書の更なる特定」
外務省はこれまでの被告準備書面で、最高裁判決(平成13年3月27日)を盾にとって、情報の不可分一体性論を全面不開示の根拠としている。しかし最高裁判決・情報の一体性論は、大阪府条例についてのもので、情報公開法には適合せず、不開示部分は最小に限るべきである。総務省の「情報公開法の運用に関する検討会」は、全委員の判断として、これが情報公開法の趣旨であることを報告書に盛り込むことになっている。
外務省がいわゆる5類型以外の文書の全面不開示を維持するのであれば、個別の文書ごとにいかなる類いの情報が記載されているのか、外務省側の人物・相手側の人物・場所・主題・支払目的・支払先など不開示該当情報を類型化しての文書の詳細説明と、不開示とした理由の具体的な詳述(少なくとも外務省の不開示審査基準の細目にもとづくもの)とを作成するのでなければ、被告の主張立証を実質的に進めたものとはいえず、原告の弁論・裁判所の判断に使えるものにはならない。
ところが被告の説明では、新たな不開示理由は出ないとしている。使用目的をこれまでのA,B,Cの3分類からさらに細分するとしているが、もともと3つの使用目的は不開示理由とは無縁のものであり、細分しても意味がない。作成される資料では一つの通番の文書を構成する文書の類型(請求書、支出依頼書等)とそれぞれに記載されている外形的事実の項目が新たに分かる程度であり、これでは提出を待つ価値のある資料にはならないであろう。

3.不開示部分ばかりで枚数カウント不能な部分開示文書
外務省は上申書で、開示された52文書の一部の枚数を原告が誤ってカウントしているというが、開示文書には不開示により欠落した紙や、台紙に複数枚の不開示文書が貼付されている紙があり、いくら推理をたくましくしても文書の原所持者でなければ何枚の文書か正しくカウントしようがないものである。
(鈴木祥宣記)